そんなことわか~んなあい
我が国は各地にお寺があるので仏教の国といえるのでしょう。
が、あなた様は自分自身がその仏教を信じていますか?なかには自分は信徒だと自覚している人もいるかもしれませんが、ほとんどは「我が家は〇〇寺の檀家です」という方が多いかと思います。つまり「自分は」ではなく,家がどこかのお寺に所属している感覚ですね。 これは江戸時代の寺請制度のなごりであり、それが現在も色濃く反映しているためです、つまり日本人の多くは個人が自分を律する信仰ではなく、家がどこかの寺に所属する信仰になっているのです。
ま、それはそれとして自分の家がなんというお寺の檀家なのか分かりますか?
また仏教といっても念仏宗?真言宗?禅宗? 実はそういうことさえ分からない人たちも結構います。また、例えば禅宗だったとして、その宗教ってどういう教えか分かりますか?というような問いをすれば 「そんなことわか~んなあい」 という方がほとんどかと思います。
でも、そんなこと何もわからなくたって困らないですよね、なぜなら葬式や法事の時お坊さんにお経を唱えてもらえばいいですからね、 で、そのお経というのも どんな意味か分からないですよね(^^)。 お坊さんが派手な袈裟衣を着て、うやうやしく鐘をはたいたり、木魚をはたいたりして、 ながながとお経を唱えるので、「ああ、これで故人は成仏するのか」と、勝手に安心するわけです。 それに通常、お坊さんにお経を唱えてもらうのに無料とかはないですよね、 必ず数万以上とか、もっと多額のお金を お布施として渡す人もいます。 なのでそれで成仏しなければ詐欺になってしまいます(笑)。
けれども成仏を確かめるのは不可能です。
なぜなら 成仏ってなんだかわからないですからね、あなた様は分かりますか?
お釈迦様は「葬儀は在家に任せ、僧侶は仏道修行に励みなさい」と言ったと伝えられているそうです。釈迦在世のときはお経なんてないから、きっとご遺族には暖かな励ましの言葉や巧みな比喩、たとえ話などを伝えたのでしょうね、というかそれらの言葉が人々の心に深い感動を与えたからこそ、それらが後々に仏典の結集があってお経になっているといわれています。 それに僧侶が派手な袈裟衣を着て、高額なお布施を得てお経を唱えなければ成仏しない なんて、お釈迦様が言ったと思いますか?そんなことはありえないですよね。もしそれが仏教の教えだったなら、お釈迦様は金儲けの天才、仏教は浅はかな教え ということになってしまいます。
私の話は間違っていると思いますか?
普段 当たり前のように思っていたことが よくよく考えると「ヘンテコリン」と感じていただければ充分です(^^)。